[CBD-COP10/MOP5レポ]保護地域の確保競争 V.S. 里山・里海

生態系や絶滅危惧種を原生に近い状態で保護すべき「保護地域」を現状よりも拡大しようというのは、多くの先進国と途上国の間での最初から合意されていた数少ない事項の1つであり、特に自分の国が生物多様性に富むことを自負する途上国(例:国内に熱帯多雨林を擁する南米の国やインドネシア、それに今や観光産業で成り立っている南洋の島嶼国家など)は、自分達の国における保護地域の設定あるいは拡大を強く望み、サイドイベントなどで豊かで美しい自然のありさまをしきりに宣伝していた。

Satoyama Governors' Summit

Satoyama Governors' Summit

会議に出席する国の代表の方々には、自分の国の民の将来の利益を背負って来ているという使命感が感じられ、かなり真剣であった。

欧米諸国にとっても、どこを、そしてどのくらいの範囲(面積)を保護区に設定するかということは概ね大きな関心事項であったようだ。環境ビジネスを謳う企業も、そうでない企業、CO2を多く排出していながら他の部門で環境保全への貢献度をアピールしたい企業も、どこでなら資源が(自由に)採取でき、どこには手をつけないでおけばよいのか、あるいはどの地域での保全活動に参加すればよいのか、知っておきたい。最初に自分達にとって少しでも有利なルールを作った方が勝ち。それに、ルールを把握しておけば次の出方がわかる。そこには当然、金銭的なことも含めた利害が絡んでいる。生物多様性の保全に貢献しているという点で高い社会的評価を得られれば、それに後からお金が付いてくるだろうという期待も。

筆者はあまりよくフォローしなかったが、この議題に関しても、公式の、あるいは非公式の作業部会は、それぞれに譲れない思惑のぶつかり合う場になったのではなかろうか。

一方で、「これまで地球上の“保護地域”は拡大しているのに生物多様性の損失は増すばかりだった、今後も保護地域の拡大によっては損失は避けられない、ある生物の広い生息地を保護地域とそうでない地域に分断することにそれほど意味があるのか」という醒めた意見も環境NGOなどから出された。一例だが、季節性の渡り鳥などは国境を越えて広範囲を移動するため、ある地域だけで保護しても、その域外に出た時に環境が悪ければやはり生存を脅かされるわけだ。

それに対し日本の環境省や国土交通省は、やはり日本の自然が元来非常に豊かで生物多様性に富むことに注意を向けさせたうえで、日本人が長い歴史を通じて野山や林を利用しつつ暮らしてきた里山での伝統的な生活様式を表す“SATOYAMA”という用語を創り、それをテーマにいくつかの展示やプレゼンを組んだ。そこには、SATOYAMAという日本発の理想的な人間と自然との共生の形態を観念として国際的に発信し、SUSHIなどと同じく国際語として流通させようとする環境省の意図が見える。

10月20日の午後に日本政府の屋外大型テントにて行われた「里山知事サミット」では、いくつかの県の知事や副知事と国連大学の副長が出席した。会場内は満員でかなり混雑していたが、筆者も立ち見で傍聴した。そこでは、人口の6割が農林水産業に従事しているという石川県の知事が、石川県の里山に生きる人々の暮らしをスライドで見せ、その暮らしの自然との関わり方を英語で“Sustainable Use through Utilization and Conseration”と形容していた。プレゼンテーションの直前には抽選券も配られ、当選者50名(?)には九谷焼の壺を始め、石川県の伝統工芸品が贈られることになっていた。

Satoyama Governors' Summitで挨拶する近藤環境副大臣

Satoyama Governors' Summitで挨拶する近藤環境副大臣

また、続く国連大学の副長のプレゼンでは、「里山」「里海」は「人間と自然との伝統的な共生の仕方」の実践される場であり、「人間の手が入った二次的な自然、生態系」であると賛美され、それを保全するべきであることが強調された。

筆者は素直に感動した。「里山」と聞くと筆者の胸に思い浮かぶのは、自分が生まれ育った地域から地理的にそう遠くない所で、たとえば琵琶湖の湖西、比叡山の麓で田畑を営んでおられる農家の方であったり、長岡京市や乙訓郡の竹藪での毎年、筍を堀って売るのを生業にしておられる方であったり、京都の山奥の芦生という地域でとれる山菜や茸を佃煮の瓶詰にして出荷していた組合の方であったり…する。ともかくもそこに生きる人々が具体的な存在としてイメージできる。

だが後で人づてに聞いた話によると、10月20日午前の第1作業部会(WG Ⅰ)では、南米のどこかの国(ペルーか?)や日本周辺のアジア諸国(?)から、「そんなやり方、何も日本に限ったことではない」と反発が出て、それを日本発、日本固有の概念ではなく、もっと普遍的な概念として表す別の用語を作ってはどうか、という方向の議論になってしまったそうだ。もっと後では、あれは里山・里海に生きる人々の生活を美化しすぎだとか、きれい事だと批判する、別の人の意見も聞いた。

今回の環境省の試みは成功したのだろうか。ともかく、単に受け身でいるよりも日本側の理念を打ち出すことができたという点ではよかったのではないか。そう、筆者は思う。

(柳生澪)

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